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その他外交文書ニュース・2017/1~ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ソ連・大韓航空機撃墜事件 |
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2017・1・12 産経ニュース 大韓機撃墜、自衛隊のソ連パイロット傍受交信記録公開も非難決議案賛同集めず 安保理 |
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「記事内容」 1983(昭和58)年9月のソ連軍戦闘機による大韓航空機撃墜を受けた国連安全保障理事会で、自衛隊が傍受したソ連軍パイロットの交信記録の音声という「決定的証拠」の公開に日米両国が踏み切ったにもかかわらず、ソ連非難決議案に十分な賛同が得られなかった経緯が、12日公開の外交文書で明らかになった。 決議案は民間機撃墜という衝撃的な事件に「遺憾」を表明し、原因究明を求める比較的穏便な内容だったが、賛成は決議採択に必要最低限の9カ国にとどまり、常任理事国のソ連の拒否権行使で否決された。 冷戦状態の米ソの宣伝合戦を理事国が冷ややかに見ていた状況がうかがえる。 当時、日本は安保理の非常任理事国ではなかったが、大韓航空機には邦人28人が乗っていたため決議案の共同提案国に。ソ連軍パイロットが地上局にミサイル発射や「目標は撃墜された」と報告する様子を北海道・稚内の自衛隊レーダーサイトが傍受した交信記録を、日米両国が83年9月6日、安保理で公開した。 |
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日本の外務省は昔から屑、害務省 |
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2017・1・12 産経ニュース 【外交文書】 「欧州戦終了後、対日参戦に転ずる確信を持った」ソ連参戦分析、生かされず 1945年6月、外相に報告 |
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「記事内容」 第2次大戦当時ドイツ領で、1945(昭和20)年4月にソ連の攻撃で陥落したケーニヒスベルク(現ロシア西端の飛び地・カリーニングラード)の日本総領事館職員が、同年6月1日付で東郷茂徳外相に「ソ連は欧州戦終了後、対日攻勢に転じるとの確信を持った」とする報告書を提出していたことが、12日公開の外交文書で分かった。 ソ連は同年8月、日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻。 対日参戦情報は、他にも寄せられていたとされるが日本は当時、ソ連に和平交渉の仲介を要請しており、情報は生かされなかった。 報告書は (1)ソ連軍が極東に向け莫大な数の戦闘機や小型砲、軍用車を輸送している (2)対ドイツ戦用に生産した軍需品が余り、困っている (3)ソ連将校から「もし日本が満州の放棄などの要求を拒否すれば、ソ連は満州に大戦車隊で侵入するだろう」と冗談交じりに言われた-などと列記。 「大東亜における勢力を拡大するため、必ずやその矛先を極東に向けると確信した」と指摘した。 ※トランプの出現で激変する世界、こんな屑・害務省に日本外交を任せていいのか? 既に外務省の中枢にシナや韓国のスパイが潜んでいるのではないのか? シナのスパイと言えば、元外交官である佐藤優だが、沖縄独立論を唱えるこ奴こそ怪しい。 |
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日露=外交官が抑留された |
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2017・1・12 産経ニュース 【外交文書】 外交官もソ連に抑留 スパイ容疑で尋問、拳銃突きつけられる |
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「記事内容」 第2次大戦中に満州(中国東北部)のハルビン総領事館に勤務していた日本人外交官らが終戦後、ソ連に抑留され、収容所で過酷な生活を送っていた実態が、12日公開の外交文書で明らかになった。 スパイ容疑で尋問を受けるなどしていた。 抑留を経て帰国したハルビン総領事館員が1948(昭和23)年12月にまとめた報告書によると、総領事館は45年8月の終戦直後にソ連に接収され、外交官や通訳ら計29人は翌月、ウクライナにある収容所に連行された。 暖房がない部屋に隔離され「帰国させない」「家族をシベリアに送る」などと脅されたり、拳銃を突き付けられたりした。 衰弱して死亡した館員もいたという。 収容所では所内の雑役や屋外労働に従事し、待遇は「犯罪人と同様」。 食事は黒パンとトウモロコシ、塩ザケなどで量は少なく、捨てられたジャガイモの皮をスープにして野菜不足を補ったり、ソ連兵に背広などを渡してパンと交換したりしてしのいだ。 ※無法国家ロシアを信じていいのか? 抑留者を奴隷にしたソ連だが、民主化しロシアとなり、プーチンと領土交渉や経済支援交渉、平和条約締結交渉をやっている日本だが、ロシアから謝罪の一言すらない。 これで、経済援助しロシアを太らせるのか? そして、日本は再び韓国やシナと同じ轍を踏むのか? この記事に要注意! 産経が報じが、産経は親アメリカ、それもオバマの背景である金融資本(グローバリスト)の親派であり、嫌露の外務省官僚の意向を受けて報じた可能性がある。 |
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