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始めに | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・8・31 ユーチューブ チャンネル桜 馬淵睦夫 重要 必見 【深層、真相、心操】馬鹿なのか確信犯なのか?不戦条約を使った左翼の洗脳工作[桜H27/8/31] |
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「コメント」 ある意味で戦後レジームの根深さを証明する事になった安倍談話。 その中で議論の的となっているのが「自衛戦争」と「侵略戦争」の定義で、左派論客は「不戦条約」を持ち出して日本の武力行使を批判しているが、果たして彼らは本当に「不戦条約」を正しく理解し 日本から、世界から、嘘を無くそう! |
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逆さ地図 (戦略立案時使う地図) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
逆さ地図の解説 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
見慣れない逆さ地図をご覧頂きたい。 1)シナ大陸は、北は日本列島から台湾、フィリピン、アセアン諸国、インドにより、西太平洋とインド洋に出る航路が遮られている様子が見て取れる。 シナは、太平洋、インド洋の航路を確保する為に東シナ海と南シナ海の両海域に対し、軍事圧力を行使し、強硬突破を図ろうと躍起なのである。 シナは国際法を遵守すれば、シナを阻む勢力は存在しないのだが、狙いはアメリカのアジアへの覇権を阻み、アジアにシナによるシナノ為の中華秩序を形成しようとしているのである。 2)シナがアジアで中華秩序を構築する最大の敵は日本である。 シナは、日本攻略が最大の目標であるが、そう易々とやられる日本では無い。 シナは攻撃目標を日本の首都東京である。 日本は、日本海側に新潟県、太平洋側に千葉県沖の日本海溝を狙っている。 シナは太平洋側から日本を攻めるには、日本は高度な潜水艦を保有しており、攻略が困難と理解している。 新潟県は以前より領事館の建設計画、一大中華街の建設計画を掲げ、土地取得まで窺っており、新潟県は案外、攻略し易いと考えている。 シナは新潟県が日本攻略で地政学上、最重要拠点と捉えており、山脈一つ越えれば東京である 決してシナの企みを許してはならない。 シナは今、沖縄を揺らし日本国民の意識を沖縄に集中させ、隙あらば新潟を手中に入れたいと必死なのである。 3)シナは日本海に安全に出入りするには、地政学上韓国を抱き込む必要がある ロシアもシナに負けてはいない。 新潟県の対岸は大陸側にウラジオストック、ロシア艦隊の基地がある。 ロシアの狙いは新潟であり、北方領土では無い。 日本国民は、日本の本土防衛に日本海から東シナ海のルートと千葉県沖の日本海溝の制海権と制空権が非常に重要であると認識すべきである。 |
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雑記帳の情報源 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ネットの産経ニュース・産経WEST、ZAKZAKby夕刊フジ、SankeiBiz、ヤフーニュース、ユーチューブ動画、報道各社のネット配信記事、各テレビ局の放送動画、新唐人テレビ動画から情報源を探した。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・26 東洋経済オンライン (1/4ページ) 松本 利秋 「逆さ地図」で見る、中国にとって邪魔な日本 |
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「記事内容抜粋」 ■ 地図を逆さにすると各国の思惑が見えてくる われわれ日本人が地図を見るときの常識は、上が北で南は下。東は右で西は左である。 このことは小学校の社会科で誰もが習ったことだ。 海を渡って東に突き進めばアメリカ大陸があり、太平洋には進路を遮る障害はない。 また、北を向けば中国大陸があり、朝鮮半島、ロシアの沿海州がある。ここでも日本との間にあるのは海だけである。 それさえ渡れば日本からはどこへでも行ける……と思うのは自然なことだろう。 しかし、中国を中心にして、逆さに地図を見てみると、とんでもない現実が見えてくる。 中国にすると、大陸から見える海は狭く、すぐ近くに日本列島がある。 さらに南に下ると九州から奄美諸島、沖縄、八重山と南西諸島が連なっており、台湾につながっている。 台湾からはバシー海峡を挟んでフィリピンへと続き、その端はベトナムに連結している。 ■ 「大陸国家」中国の変貌 ■ 中国が引いた「第一・第二列島線」 ■ 波紋を呼ぶAIIB、本当の狙い ■ 「逆さ地図」的発想のススメ ※逆さ地図を是非時間を掛けてご覧あれ! |
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2015・4・27 SBクリエイティブOnline 中国から見れば海を塞ぐ日本列島は邪魔な存在 |
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「記事内容抜粋」 中国の支配者の関心は北方に向いていた 大陸国家である中国も、海を渡って進出を試みたが目的を果たせなかった歴史がある。 それは日本を「黄金の国ジパング」としてヨーロッパに紹介したイタリア人、マルコ・ポーロの大冒険の顛末に象徴されている。 マルコ・ポーロは1271年にイタリアを出発し、当時、ローマと中国を結ぶ陸路のシルクロードを通って北京に到着したことはよく知られている。 では帰りも陸路だったかというとそうではない。帰りは海路を通ってベネチアに帰ったのである。 彼は1292年に、ペルシャに嫁ぐダッタンの王女のエスコート役として杭州を出発し、マラッカ、インド洋を通ってペルシャのホルムズに上陸。 そこから陸路で本国に帰国している。 当時は杭州出発から帰国までに3年という期間を要した。 マルコ・ポーロは北京で元の皇帝フビライに謁見している。 蒙古民族の元は、陸路を馬で駆け抜けて中国に攻め入り、ヨーロッパを席巻した一大ランドパワーの帝国である。 蒙古の侵攻によって、中国で権勢を誇っていた宋は南部に追いやられた。 杭州を中心とした南宋は、ペルシャを含むアラビア商人たちとともに、盛んに海洋交易を行なっていたシーパワー国家であった。 元は1274年には、朝鮮の高麗軍に先導させて日本の北九州に押し寄せた「文永の役」が失敗に終わり、その後の1279年には南宋を滅ぼし、造船技術や外洋航海技術を習得した。 このことが1281年に、再度日本に遠征をする「弘安の役」に繋がってくる。 元は二度にわたる日本侵攻作戦に失敗した後、先祖がえりをして外洋に出て行くことはなかったのである。 そして明朝時代には雲南出身のイスラム教徒の鄭和が指揮する船団が、八度にわたって外洋に出て行き、アフリカのケニアにまで航海したほどのシーパワー国家となった。 だがその後、満州出身の清王朝となり、外モンゴル、チベットを征服する大ランドパワーへと変化した。 本格的に海洋に進出しだした中国 中略 現在の中国にとって、日本列島が邪魔な存在であるとしても、国家はお互いに引っ越すことはできないのだから、問題は複雑極まりないところまできていると言えよう。 |
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ネット検索の切欠 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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時期は定かではないが、ぶっちょ面した横柄な態度の故・土井たか子委員長が女性レポーターから 「北朝鮮による日本人拉致を知っていたのか?」 と詰問されたが、無言で足早に立ち去るシーンをテレビで観た。 この時、故・土井たか子が嘘を吐いていると直感し、故・土井たか子の正体を探り始めたのが切欠である。 |
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国内外に存在する嘘・原因と検証 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本は戦前迄、国内に嘘はあったのだろうが、国民には無縁であった。 大日本帝国は、アジア解放の御旗を掲げアメリカ合衆国・イギリス帝国・オランダ・中華民国・ソビエト連邦の連合国と大東亜戦争を戦い、最後にアメリカに戦いを挑み敗れた。 敗戦の結果、日本の歴史に多くの嘘を抱え込む結果となった。 この嘘こそアメリカとシナ、韓国から日本が問われる歴史認識である。 多くの嘘は日本の史実と全く違う。 1853 ペリー来航 1868・10・23明治維新 1894・7(約1年)日清戦争 1895(約50年間)台湾併合統治 1904・2・8(約1年7ケ月)日露戦争 1910・8・29(35年間)大韓帝国併合統治 1932(13年間)満州国 1941・12・12(約4年8か月)大東亜戦争 大東亜戦争以降 日本政府は敗戦後、日本が抱え込んだ嘘を探し、事実を検証する目的で雑記帳を作成した。 |
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日本と世界の時代背景 (薄いブルー=日本の社会背景・白=海外の社会背景) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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※世界は今、パワーバランスが大きく変わり、第二次世界大戦前に類似していると言われている。 日本は北東アジアンの荒波を避ける為にも、維新から戦中、戦後の史実を検証し、史実に危機回避のヒントを探る必要がある。 |
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虫食い状態のシナ大陸 (日清戦争後) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2015・3・21 ZAKZAKby夕刊フジ 必見 【日本に魅せられた 西洋の知性】ラフカディオ・ハーン 美しい英語で日本文化を海外に広める |
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「記事内容抜粋」 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲、1850~1904)は、美しい英語で日本文化を海外に紹介した文学者である。 今日であったならば、ノーベル文学賞を受賞していたに違いない。 日本文化の美と精神性を愛し、最後には日本に帰化し、日本人として死んだ。 父は英国陸軍軍医、母はギリシャ人だが、両親はすぐに離婚。 彼は恵まれぬ環境で英国で育ち、19歳の時、無一文で渡米し、ジャーナリストとして実績を上げてゆく。 意外なのは、彼がフリーの紀行文作家として来日した時、すでに40歳だった。 彼が日本で過ごしたのは人生の後半の14年間にすぎない。 だが、彼が生前発表した14冊の書物は、英米のみならず、ドイツ、フランスでも広く読まれており、国際的に一流の作家として認められていた。 |
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