|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
色違いの行の太文字がニュース&情報の「見出し」、スクロールし検索すると、記事、動画元にヒットする | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
台湾ニュース・2015/5 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・25 産経ニュース (1/3ページ) 台北支局 田中靖人 【国際情勢分析】 起死回生にできなかった6年ぶり国共党首会談 国民党・朱主席の「過度の低姿勢」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 台湾の与党、中国国民党の朱立倫主席(53)が4日、北京で中国共産党の習近平総書記(国家主席、61)と会談し、国共両党の良好な関係をアピールした。 朱氏は中国側に耳障りな話題を避けて友好の演出に腐心し、中国側も表向きは厚遇で応じた。 だが、内容は台湾側の期待値を上回るものはなかった。 6年ぶりとなった国共党首会談は、昨年春の学生運動以降、冷え込んでいた中台関係を仕切り直す一定の効果はあったものの、国民党から見れば来年の総統選への「起死回生の一手」とまではならなかったようだ。 「92年合意」深化せず 朱主席の論理矛盾 メディアの評価も辛口 中略 会談の成果について、台湾師範大の范世平教授は、5日付聯合報への寄稿で「新たな突破はなかった」と分析。 中国時報も5日付社説で「良く言えば理性的で実務的、悪く言えば創造的な思考に欠ける」と評価し、総統選で国民党が有利になるには「さらに努力が必要だ」と断じた。 聯合報や中国時報といった国民党寄りのメディアですら高い評価を与えていないことが、今回の会談に臨んだ朱氏の成果を如実に物語っている。 ※シナと国民党は同一民族、台湾人と国民党(シナ人)の温度差が際立つのだが・・・ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・23 産経ニュース 溝上健良 『新装版 台湾人と日本精神』蔡焜燦著 かつての祖国を叱咤激励 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 平成13年に小学館文庫から刊行された『台湾人と日本精神』は毎年順調に売れ続け、14刷8万3000部に達するロングセラーとなっている。 読者から「単行本で手元に置きたい」といった要望が版元に多く寄せられたそうで、戦後70年を迎えたのを機に新装版として4月に発売された。 編集担当の鈴木亮介さんは「先の大戦の経験者や歴史に興味を持つ年配の方に読まれており、新装版1万部も堅調な売れ行き」と話す。 文庫版も近く増刷となる予定だ。 昭和2年生まれの著者は司馬遼太郎氏が『台湾紀行』執筆に向けた取材で訪台した際に案内役を務め、同作に「老台北」として登場することでも知られる。 親日家を超えた「愛日家」を自任し、かつての祖国を愛する元日本人だからこそ、現代日本人の精神的荒廃に苦言も呈する。 台湾では「日本精神(リップンチェンシン)」が勤勉で正直、約束を守るといった行いを指す言葉として息づいているのだ。 50年に及んだ日本の統治が台湾の近代化をもたらし、その精神的遺産が台湾発展の基盤となったと説く著者は、台湾を知ることは日本を知ることにつながると主張し、「日本人よ胸を張りなさい」と訴える。 (小学館・1600円+税) ※今の日本人に必要な精神だろう。 是非読む。 日本人は今、心の支えを失っているが、何時目覚めるのか?未だ分からない状態にある。 残念な事だが、台湾人の方が現代日本人より、旧日本人の奥深い日本人魂を受け継いでいるかも知れない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・16 産経新聞 台北=田中靖人 台湾与党、異常事態 総統選に王金平氏も不出馬表明、有力者ゼロに |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 台湾の与党、国民党の王金平立法院長(74)=国会議長に相当=は15日、来年1月の総統選に出馬しない意向を表明した。党内予備選の事実上の締め切りは16日で、国民党は前日になっても出馬を表明した有力者が誰もいないという異常事態に陥った。 朱立倫主席(53)は不出馬を表明してきたが、16日に「党と個人の計画」を発表するとしており、改めて注目が集まっている。 王氏は立法院内で記者会見し、「努力不足で、(総統候補の)大任を担えると皆さんに信じさせることができなかった」と声明を読み上げ、頭を下げた。 報道によると、家族の反対に加え、不仲が伝えられる馬英九総統や朱主席の出馬を求める立法委員(国会議員)らが王氏の出馬を快く思っておらず、党全体の支持が得られないと判断したとみられる。 中略 届け出には、投票権を持つ党員約30万人の5%に当たる約1万5千人分の推薦署名が必要。 世論調査の支持率が30%未満なら候補者資格は得られないとの条件もあり、洪氏らが満たせるかいぶかる向きもある。 有力者不在の状況に党内からは、支持率の高い朱主席を強制的に候補者にすべきだとの意見まで出てきた。 ※台湾はシナ人に乗っ取られた訳だが、現在の旧日本人とシナ人の人口比率はどうなっているんだろう? |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・16 チャンネル桜 【台湾チャンネル】第81回、速報!台湾人英霊の日章旗が遺族の下に(銅鑼郷中平村)・今年も八田與一氏の追悼行事[桜H27/5/16] |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「コメント」 日本と台湾の交流情報を、日本語と台湾の言語で同時にお送りする情報番組。 今回は ①台湾苗栗県銅鑼郷で5月9日、戦歿台湾籍日本軍属の「寄せ書き日章旗」の返還 その速報として ②「嘉南大圳の父」こと八田與 今も同氏を キャスター:永山英樹・謝恵芝 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・15 台北=田中靖人 食品規制 台湾、産地証明で譲歩 輸入全面停止は回避 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事全内容」 台湾が東京電力福島第1原発事故後に導入した日本の食品輸入規制を15日から強化する問題で、食品薬物管理署(FDA)は14日夕、全食品を対象に求めていた都道府県別の産地証明について、日本国内で取得できる既存の証明書を提出すれば問題ないと発表した。 植物検疫証明書や衛生証明書、商工会議所の証明書などに都道府県名が記載されていれば、産地証明と認定される。 日台双方の窓口機関による13日の協議では産地証明の様式で合意できず、15日からの輸入停止は不可避とみられていたが、台湾側が直前に妥協し、最悪の事態を回避した。 日本や域内の輸入業者、消費者からの批判に配慮したとみられる。 一方、水産品、茶類など3分類800品目超の「高リスク産品」についての放射線検査証明は、日本政府や国際認証機関が認証する機関の証明書が必要だとした。 放射線検査には費用も日数もかかるため、日本からの輸入に影響が出る可能性がある。 また、いずれも日本側への事前説明がない一方的な発表で、輸入現場では当面混乱が生じる恐れがある。 日本は「科学的根拠に基づかない措置で、あくまで撤回を求めていく立場に変わりはない」(交流協会台北事務所)としている。 ※日本は何故、台湾だけに強く反論するのだ! 韓国はどうでもいいが、台湾だけはもっと大事にしろよ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・13 産経ニュース (1/3ページ) 【中国ネットウオッチ】 台湾の「鳥居再建=媚日批判」論争にみる「台湾人」「中国人」アイデンティティの“大きな差” |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 台湾・台中市の林佳竜市長がこのほど、台中公園内に横たわる日本統治時代に建立された台中神社の鳥居を、200万台湾元(約780万円)を投じて建て直すと発表した。 市の新たなランドマークとして位置づけるという。 これに対し、中国のネットユーザーは、“媚日”行為だとして反発し、台湾人に対し、激しい批判を浴びせた。 日清戦争終結からちょうど120年となる今年。 清国から日本への台湾割譲を取り決めた下関条約(中国名・馬関条約)が締結された日である4月17日には、台北市内にある日本の対台湾窓口機関、交流協会台北事務所前で、中台の統一を志向する団体が集会を開き、「日本の軍国主義復活に反対する」などと声を上げた。 中略 「台湾人の『指導思想』は自由民主で、彼らは教条主義に感化されることはない。彼らには選択する権利と言論の自由があり、日本の天皇を崇拝する人もいれば、中国人としての強いアイデンティティを有している者もいる。これが民主だ。逆にわれわれは、もしもGCD(共産党)を悪く言ったり、少しでも反発したりすれば、次の日には当局に拘束されてしまう」 ※シナ人は、占領した台湾で大きな顔をするな! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・12 産経ニュース 台湾の「WTO提訴も検討」と林農相 原発事故がらみの食品輸入規制強化で |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 台湾が東京電力福島第1原発事故後に実施した日本の食品に対する輸入規制を15日から強化することについて、林芳正農相は12日、閣議後の記者会見で「世界貿易機関(WTO)への提訴も含めてしかるべき対応を検討したい」と述べた。 林農水相は「台湾の措置は科学的根拠に基づかない一方的なものだ」と改めて批判。 「規制強化に至った具体的な事実関係について再三の説明を求めているが、いまだ台湾側から説明がないのは極めて遺憾」と不満をあらわにした。 ※韓国は日本への嫌がらせだろうが、台湾はシナから指示されての措置だろう。 目くじらを立てる程の事では無い。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・12 FOCUS-ASIA.COM 編集翻訳 恩田有紀 台湾で売春の韓国人、“タレント似”で風俗店の看板娘に・・台湾では売春する韓国人の拘束増加 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 台湾台北市の警察はこのほど、現地の風俗店に所属し、“看板娘”として売春をしていた韓国人の女を拘束した。 女は台湾で活躍する韓国人タレントに似た風貌で客を集めていた。 台湾・東森新聞雲が10日伝えた。 報道によると、この女は韓国の百貨店で店員をしていたが、「給料が安すぎる」と感じ、台湾で売春をするようになった。 台湾で活躍するガールズユニット、Dream Girlsの韓国人メンバー、宋米秦(エミリー・ソン)に似た風貌で風俗店の“看板娘”となり、1人当たり1万3000台湾ドル(約5万円)の料金をとっていた。 この風俗店は「女性は韓国人と日本人」とうたっていた。 台北の警察は同風俗店を摘発し、女を拘束。 女は今後、強制送還される。 台湾では観光と称して訪台し、売春をする韓国人が拘束されるケースが増えているという。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・3 編集翻訳 恩田有紀 安倍首相の米演説に台湾対日窓口機関「慰安婦問題で正式に謝罪するべき」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 安倍晋三首相が米議会の上下両院合同会議で4月29日に行った演説の内容について、台湾の対日窓口機関、亜東関係協会の羅坤燦事務局長は同日、「日本は従軍慰安婦となった被害者に正式に謝罪し、被害者の正義と尊厳を回復することができるようにするべきだ」と語った。 台湾・旺報の報道として、中国新聞網が1日伝えた。 報道では「安倍首相は今回訪米して以降、元従軍慰安婦に対する謝罪の気持ちを表していない」と指摘。 これについて羅氏は、「台湾当局は日本が被害者に正式に謝罪し、賠償するよう求めており、状況について外交部門が注視している」と話した。 ※正義はにほんにあり、韓国の従軍慰安婦は嘘、被害者ビジネスに謝罪とは・・・中華民国はシナの傀儡に成り下がったのか? やはりシナ人は台湾人とは違うようだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015・5・1 NEWS ポストセブン 『台湾人と日本精神』著者 戦時欧米国と日本の決定的違い解説 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
「記事内容抜粋」 親日を超えた「愛日家」を自任する男性が、戦前に日本の領有下にあった台湾にいる。 日本の短歌を愛好する団体「台湾歌壇」の代表を務める蔡焜燦(さい・こんさん)氏だ。 今年4月に、14年前に小学館文庫から発刊された著書『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』が日本の読者の反響を呼び、単行本の「新装版」として発刊されることになった。 そんな蔡氏が “元日本人”としての誇りを語る。 * * * 大東亜戦争を 「悪」 だと教えられてきた戦後の日本人は驚くかもしれないが、当時の台湾にとって日本は 「最良の統治者」 だった。 確かに内地(日本本土)から台湾に来た日本人の中には、我々を「チャンコロ」と呼んでバカにする者もいたのは事実だ。 中略 日本人の教師たちは教育を「商売」と考えている中国人とは違い、「日本の将来を支える人材を育てる」という使命感と情熱があった。 恩師たちの多くはすでに他界してしまったが、そのご家族との交流を続けている我々世代の台湾人は多い。 植民地を搾取の場としか考えなかった欧米列強と日本の決定的な違いを示すエピソードだと思う。 ※日本人は台湾人の意識、心根が一緒と感じている。 多くの日本人は台湾人だけは時勢が許せば、日本に受け入れたいと思ったいるハズである。 1953年に小学校に入学し戦後教育を受けた私だが、昔の先生は確かに手を上げたが、心が温かく心底生徒を思っていた。 それを実感した事案もあった。 そして、父兄から、生徒から、地域から尊敬されていたし、先生の悪口を聞く事も無かったが、生徒は先生にピッタシのあだ名だけは付け荒廃へ受け継いでいった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||