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菅直人ニュース・2016/ 12~1
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菅直人ニュース・2016/12~1
菅直人の罪
2016・6・25 産経ニュース (1/3ページ) 【阿比留瑠比の偏向ざんまい】
菅直人内閣の絶望的な政治の風景を決して忘れまい
「記事抜粋」
  この記事は6月15日発売の『偏向ざんまい~GHQの魔法が解けない人たち』(産経新聞論説委員・阿比留瑠比 産経新聞出版)の「第4章」から転載しました。
ネットでの購入はこちら

ちょっと前の話だが、どうにも気になるので書いておく。
2015年5月24日付朝日新聞朝刊の対談記事で、杉田敦法政大教授と長谷部恭男早稲田大教授が語っていたセリフについてだ。
長谷部氏といえば、憲法学者(参考人)として招かれた衆院憲法審査会で安全保障関連法案を「違憲」と断じ、一躍時の人になった人物である。
  杉田氏  「民主主義とは、選挙で選ばれた代表による、いわば期限付きの独裁なのだ-という安倍・橋下流の政治観が支持を広げているようです」
中略
菅氏は副総理時代の10年3月、参院内閣委員会でこう答弁している。
  「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ。4年間なら4年間は一応任せると」
また、菅氏は09年11月の参院内閣委では憲法の三権分立の原則も否定し、「これまでの憲法解釈は間違っている」とも述べている。
中略
菅内閣は10年10月、閣僚が国会で虚偽答弁を行った場合の政治的・道義的責任について質問主意書で問われて、こんな答弁書を閣議決定したのだった。
  「内容いかんによる」
つまり、閣僚が国権の最高機関たる国会で堂々と嘘をついても、必ずしも問題ではないということを、当時の菅首相と全閣僚が署名して決めたのである。
これでは政府答弁など何も信用できない。
あのころの絶望的な政治の風景を、決して忘れまい。
 
※国会は管をこのまま放置するのか? 阿比留さん、 記事を書いただけでは何もならんのだが・・・
政治資金を北朝鮮勢力に6,500万円渡したのも罪にならないのか? 
2016・6・19 産経ニュース (1/4ページ) 【阿比留瑠比の偏向ざんまい】
菅直人元首相は重大な責任を免れようがない
「記事抜粋」
  この記事は6月15日発売の『偏向ざんまい~GHQの魔法が解けない人たち』(産経新聞論説委員・阿比留瑠比 産経新聞出版)の「第4章」から転載しました。
ネットでの購入はこちらへ。
      ◇
文部科学省が2013(平成25)年3月26日に公表した14年春から使用される高校教科書の検定結果を見ると、当然のことながら11年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故への言及が目立つ。
その中でも、当時の菅直人首相に関する記述に、首相官邸で取材をしていた一人として深い感慨を覚えた。
例えば歴史の教科書には、こんな記述がある。
  「震災処理の不手際もあって菅内閣は同年8月に総辞職に追い込まれ、かわって野田佳彦が組閣した」(日本史A)
  「菅内閣は、放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」(日本史B)
菅氏を支えた元首相秘書官によると、菅氏は在任時、口癖のように度々こう語っていたという。
  「俺は歴史に名を残したいんだ」
その夢はかなったというわけだ。
菅氏は今や歴史上の人物として高校生が学ぶ対象となった。
目指すべき手本としてではなく、反面教師としてかもしれないが。
続きは記事をご覧あれ!
2016・3・12 産経ニュース (1/2ページ) 【産経抄】
菅元首相に怒る資格なし 被災者の受難すら党利党略に結び付け… 3月12日
「記事内容抜粋」
  「あんな人(菅直人氏)を総理にしたから天罰が当たったのではないか」。
東日本大震災発生当時、原子力安全委員長だった班目春樹氏が8日のフジテレビ番組でこう語ったことが、巷(ちまた)で話題を呼んでいる。
未曽有の大災害と原発事故に対し、不謹慎で人ごとのようだとの批判もある。
  ▼ただ、当の菅氏には怒る資格はない。
菅氏は平成16年10月に愛媛、高知両県などで台風が甚大な被害をもたらし、直後に新潟県中越地震が発生して10万人以上の避難者が出たとき、ホームページに記していた。
「あい続く天災をストップさせるには、昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」。
中略
  ▼事故対応をめぐっては政府、国会、民間、東電の各事故調査委員会がそれぞれ検証し、報告書をまとめている。
どれも労作だが、政治家の言動と責任への追及が共通して甘かった。
原発事故
2016・3・11 産経ニュース (1/3ページ) 論説委員兼政治部編集委員 【阿比留瑠比の極言御免】
原発事故「班目マンガ」の衝撃 拒絶反応から顔の描けない登場人物って… 当然あの人!?

「記事内容抜粋」
一読、ここまで赤裸々に実態を明かしていいのかと衝撃を受けた。
原子力安全委員長として平成23年3月11日の東電福島第1原発事故対応にかかわった班目春樹氏が、インターネット上で公開している自作マンガのことである。
事故当時の菅直人首相をはじめ官邸政治家らの無責任で場当たり的な言動が、班目氏の目に映ったまま実に率直に描かれている。
  顔のない人物  ひどい正当化  
中略
マンガを通じ、当時の官邸の右往左往ぶりと、その後の自己正当化・美化のありようを改めて思い出した。
 
※凄いね! 才能だろう
2016・3・1 産経ニュース (1/2ページ) 【野口健の直球&曲球】 
民主党政権は台湾からの救助の声を閉ざしていた

「記事内容抜粋」
東日本大震災から5年。発生時、僕は羽田空港にいた。
空がなんとも形容しがたい色をしていた。
一面に広がる分厚いグレーの天から降りてくるような不気味な空だった。
震災から約1週間後、がれきに埋まる岩手県陸前高田市の市街地に立っていた。
落ちていたアルバムやお人形がなんとも生々しかった。
寝袋を届けようと避難所を回っていたが、驚いたのは「ここも大変だけれどあっちの避難所も布団が足りていないのです。あちらの分もとっておいて」という避難されている方々の言葉だった。
海外の震災などで救援物資を奪い合うニュースを何度か見てきただけに、極限状況下にもかかわらず「譲り合いの精神」に涙が流れた。
中略
許せないこともあった。
震災発生直後、台湾の李登輝元総統によれば、日本の交流協会台北事務所(台湾における日本の事実上の大使館)に対し、救助隊を被災地に派遣すべく交渉したが、日本政府からは「救助隊の要請はもっと先になります」との返答。
しかしアメリカ、韓国の救助隊はその前に到着していたのだ。
72時間たつと生存の確率は急激に減る。
被災地で人々が生き延びようと必死になっていたその時、民主党政権は国民の命よりも中国政府を意識しすぎたあまり、台湾からの救助の声を閉ざしていたのだ。
あれから5年。
今一度振り返る必要があるだろう。
 
※菅政権は台湾の救助隊を受け入れず、信頼出来ない韓国救助隊を何故、受け入れたのか?(大震災お祝いします、日本沈没とネットに心無い記述・韓国)
2016・3・7 産経ニュース (1/5ページ) 政治部 千田恒弥 【元統合幕僚長が原発事故を振り返る】
米統合参謀本部議長は言った…「日本政府は適宜適切に決心してるのか?そこを心配しているんだ」
「記事内容抜粋」
平成23年の東日本大震災と東電福島第1原発事故の際に統合幕僚議長を務めた折木良一氏が当時を振り返った。
     ◇
平成23年3月11日の東日本大震災では、自衛隊制服組トップとして初めて陸海空自衛隊からなる統合任務部隊を編成し、被災者の救助、行方不明者の発見に全力で当たりました。
約10万人の自衛官が困難な任務に向き合ってくれました。
一方、11日午後7時半に北沢俊美防衛相の原子力災害派遣命令を受け、東京電力福島第1原発には中央特殊武器防護隊長の岩熊真司1佐らが入り、支援していました。
専門家が現場で対応していたので抑えられると思っていました。
認識が一変したのは、14日午前11時1分の3号機爆発です。
その日、東北方面総監の君塚栄治陸将を統合任務部隊指揮官に任命するため、仙台市に向かっていました。
任命式の直後、3号機爆発の報告を受け、「原発がとんでもない方向に進んでいる。これはやばい」と直感しました。
中略
     ■    ■
米政府や米軍も原発事故に神経をとがらせていました。
翌15日、米軍制服組トップのマイケル・マレン統合参謀本部議長から電話がありました。
米側は当時、情報がないことにものすごく焦っていました。
米軍は何でも支援する姿勢を示してくれていましたが、原発に関しては「いろんな情報を提供してほしい」ということでした。
ただ、政府も原子炉の正確な情報を把握できていなかったし、自衛隊も持っていなかった。
中略
     ■    ■
原発事故の教訓としても思い出さなければならないのは、原子力災害が起こったときの様相を想定しながら何をやるべきか、どの手段を使うのかといった危機が発生したときの対応計画を策定しておくべきだったということです。
あの当時、原発事故は絶対に起こらないという「安全神話」が前提にあったから、対応が遅れ、事故が深刻化しました。
東電幹部は経営は管理していたが、危機管理は全くしていなかった。
事故が起こるまで、そういう発想すらなかった。
中略
われわれは日頃から常に最悪の事態を考えて計画や訓練を続けるのです。
危機を想定し、訓練を積み重ねてこそ、最悪の事態にも対応できるのです。
危機管理の重要性を改めて指摘しておきたいと思います。
=肩書はいずれも当時
  ■折木良一(おりき・りょういち) 昭和25年2月、熊本県生まれ。
47年、防衛大学校卒業後、自衛隊に入隊。
第9師団長(青森県)、中部方面総監(兵庫県)、陸上幕僚長などを経て平成21年3月から第3代統合幕僚長に就任。
24年に退官後、防衛省顧問、防衛相補佐官などを歴任。