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満洲国ニュース/ 2020 2019 2018
満洲国ニュース/ 2018/12~1before
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満洲国ニュース・2018/12~1before
実は大日本帝国と満州国連合軍の大勝だった!
2018・8・23 (1/2ページ) 中国総局長 【緯度経度】
産経ニュース ノモンハンと文化大革命 モンゴル族悲哀の歴史 藤本欣也
2018・8・13 (1/4ページ) 中国総局長 
【藤本欣也の中国探訪】
産経ニュース ノモンハン事件80年目の夏 かつての戦場は…“日本軍大敗”史観の宣伝いまも (2)
「記事内容」
1935(昭和10)年、アジア最果ての地で撮影された集合写真がある。
20人の男たちの背後には2本の旗が掲げられている。
かつての満州国とモンゴル人民共和国の国旗だ。
満州国の北西の外れ、満州里(現・中国内モンゴル自治区)で行われた会議に満蒙両国の代表団が参加した際の写真である。
そのころ、満州国とモンゴル人民共和国は国境の未画定問題を抱え、対立していた。
日本、ソ連(当時)がそれぞれの後ろ盾となって、国境付近の満州里で交渉が行われたのだ。
前列中央に立つ満蒙両国の首席代表は共にモンゴル風の容姿をしている。実は満州国の首席代表も、満州族や漢族ではなくモンゴル族出身だった。
2人にはこの後、それぞれの国でスパイ容疑などをかけられ、処刑される運命が待っている。
相手側との内通を疑われたのである。
満州里会議が成果なく幕を閉じる中、満蒙国境の草原地帯で39年に勃発したのがノモンハン事件だった。
  「同じ民族同士が戦う悲しい戦争でした」
こう語るのは、ノモンハンに近い内モンゴル自治区アムグランで文物管理所長を務める巴図孟和(ばともうわ)さん(60)だ。
モンゴル族の出身である。
日本でノモンハン事件と呼ばれる戦闘は、日本・満州国の連合軍と、ソ連・モンゴル人民共和国の連合軍が戦った。
このうち満州軍の主力は、戦場一帯を地盤とするモンゴル族の部隊で構成されていた。
つまり、モンゴル民族同士が戦場で相まみえたことになる。
  「モンゴルの大地でモンゴル人同士が血を流した。恥ずかしいことです」
巴図さんには、満州軍の兵士だった伯父がいる。
  「モンゴル族の部隊は空に向けて発砲する兵が多かったといいます。脱走兵もたくさんいたそうです」
伯父は重傷を負った。
ソ連兵に撃たれた、と話していたという。
戦闘は、兵力・物資に勝るソ連側が人的損失を被りながらも優位に展開し、4カ月後に停戦した。
満州軍の一員としてノモンハンに参戦したモンゴル族の苦難は、共産中国の建国後も続く。
50~60年代、中国人民解放軍によるチベット制圧の過程で、モンゴル族は部隊派遣を命じられ、今度は高地での戦闘を強いられた。
こうした
  「忠誠」や「貢献」にもかかわらず、
  「少数民族の中でも特にモンゴル族の被害が甚大だった」(被害者家族)というのが、文化大革命(66~76年)である。
問題視されたのは、過去の対日協力だけではない。
当時は中ソ対立の時代で、ソ連の衛星国、モンゴル人民共和国との関係も疑われた。
10万人以上が犠牲になったとの説もある。
7月下旬、中国人観光客でにぎわうノモンハンの戦場跡を訪れた。
草原に政治スローガンの看板が立っている。
中国語とモンゴル語で記されていた。
  民族の団結強化
  民族の進歩促進
  民族の経済繁栄
美辞麗句が並ぶ。
つまりは、いずれも現代の中国やモンゴル族の社会で実現していないということだ。
その背後にたゆたう少数民族の歴史を、草原で無邪気に馬と戯れる一般の中国の人々は知るよしもない。
  (2)
「記事内容」

中国とモンゴル国境付近に、かつて日本軍とソ連軍が激戦を交わしたノモンハンがある。
現在は牛や馬が放牧された草原が広がっているにすぎない。
戦闘発生から80年目の夏、中国人観光客でにぎわう内モンゴル自治区の戦場跡を訪ねた。

          □ □
日本でノモンハン事件と呼ばれる戦闘は、1939(昭和14)年の5月から9月まで続いた。
日本軍・満州国(当時)軍と、ソ連(同)軍・モンゴル人民共和国(同)軍が参戦、モンゴルでは「ハルハ川戦争」、中国では「ノモンハン戦争」と呼ばれている。
発端は満州国とモンゴル人民共和国の国境をめぐる対立で、それぞれの国を後押しする日本とソ連が介入し本格的な武力衝突に発展した。
戦場は現在のモンゴルと中国にまたがっていて、激戦が繰り広げられたハルハ河畔はモンゴル領内にある。
中国側の戦場跡は草原が広がるばかりだった。
内モンゴル自治区のハイラルから車で3時間余り、二百数十キロ離れた草原の真っただ中に
  「ノモンハン戦役遺跡陳列館」がある。
現在、陳列館は改装工事中で、土産物店しか開業していない。
訪れたのは7月下旬の平日だったが、100人近くの中国人観光客が押し寄せていた。
周辺の草原には戦車や軍用機が無造作に展示されているだけ。
観光客たちは中国国旗が掲げられた戦車によじ登ったり、砲身にまたがったりして写真を撮っていた。
  「とにかく大草原を見たかったんです。ノモンハン戦争? ここに来て初めて知りました。本当に日本という国は中国のあちこちに戦争の足跡を残しているんですね」
黒竜江省から来た女子高校生(18)は楽しそうだった。
          □ □
土産物店にノモンハン事件の説明板があった。
つづく
          □ □
そもそも、中国がノモンハンに同陳列館を建設した目的は何か-。
中略
ノモンハン事件発生から80年目の夏。
かつての戦場は、その歴史さえ知らない中国人観光客たちが訪れて牛や馬と戯れる草原と化していた。

 ※ノモンハン事件は大日本帝国と満洲国連合軍とソ連とモンゴル共和国連合軍による国境紛争だが、一時、大日本帝国連合軍が敗退していた話が大きくなっていた。
が、結果は真逆で大勝していたのである。
これも戦後の反日日本政府が捏造したプロパガンダなのか?